1985〜1991年の金価格と世界経済/プラザ合意後の金価格は?

プラザホテルとは?@

プラザホテルは、
ニューヨークのセントラルパークに面した
高級ホテルですが、

 

このホテルは2005年春に一度閉鎖され、
3年後に再オープンされています。

プラザホテルとは?A

また、プラザホテルは
数々の映画の舞台になったことでも知られており、
世界的な歴史にも名を残しています。

 

1985年のG5(主要5か国)蔵相会議は、
このプラザホテルで開催されています。

 

ここで、
ドル高是正についての話し合いが持たれ、
その衝撃的な合意内容は
「プラザ合意」として全世界に発信されました。

プラザ合意の内容は?

G5(主要5か国)蔵相会議では、
アメリカは、10〜12%のドルの
下方修正(ドルの切り下げ)を提案し、

 

日本から参加した当時の竹下登蔵相もこれに賛成し、
10%以上の円高の容認を表明して
アメリカの提案を支持しました。

 

プラザ合意により、
翌日のドル/円相場は1ドル=230円台から210円台へと、
急激な円高ドル安になりました。

 

また、その1年後には
150円台までドルが売られ円が買われました。

 

なお、プラザ合意後は、
ドルが売られて金価格は上昇しました。

 

プラザ合意前のドル建て金価格は
300ドル台でしたが、

 

1987年12月にはその1.5倍以上の
500ドル台まで上昇しました。

 

しかし、円建ての国内金価格については、
円高が進行していましたので、
2000円台半ばから2000円台割れ
という水準まで下落してしまいました。

 

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プラザ合意後の円高ドル安の影響は?

急激な円高は、
現在よりも輸出比率が高く、

 

円高に対する備えもできていなかった
輸出立国である日本にとっては、
かなりのダメージとなりました。

 

具体的には、
代表的な輸出産業である自動車産業はもちろん、
各業界が不況に見舞われました。

 

この円高不況に対応するため、
日銀は大幅な金融緩和策(金利引き下げ)を導入したのですが、
当時は金融自由化の前であったことから、

 

国内の金利引下げによる流動性が高まり、
結果としてカネ余り状態を生み出し、
それが株バブルや不動産バブルを発生させてしまいました。

プラザ合意後の金価格は?

1985年のプラザ合意後は、
ドルが売られて金価格は上昇しました。

 

プラザ合意前のドル建て金価格は300ドル台でしたが、
1987年12月には、
その1.5倍以上の500ドル台まで上昇しました。

 

しかしながら、
円建ての国内金価格については、
円高が進行していましたので、
2000円台半ばから2000円台割れ
という水準まで下落してしまいました。

 

これは、
金価格の上昇以上に、
ドル/円相場で円高が進行したせいです。

 

また、それまででしたら
ドル建て金価格と円建て金価格に
相関性があったのですが、

 

プラザ合意を境に、
国内金価格は為替相場の影響を強く受けるようになり、
相関性が薄れてしまったといえます。

 

つまり、
円高の進行のほうが速くなったために
相関性が薄れたということです。

 

ちなみに、ロンドン市場で
金価格が上昇したというニュースを聞いて
金(ゴールド)を売ろうとしても、

 

円建て価格は値上がりしない
ということがしばしばあり、
多くの個人投資家が金投資は難しいと感じたようです。

 

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