1989年の金価格と世界経済/ベルリンの壁崩壊、アメリカの一極支配...

ベルリンの壁崩壊@

1989年11月9日、東ドイツ政府は
東ドイツ市民に対して
「旅行の自由化」を発表しました。

 

旅行が自由化されれば
東西ベルリンを隔てるコンクリートの壁は不要になるわけで、
これは実質的な民主化を意味していました。

ベルリンの壁崩壊A

その後、ベルリンの壁は
民主化の象徴として

 

東西ベルリン市民の手で壊され、
東西ドイツは統一の道を歩き始めたのです。

ソ連の崩壊

ベルリンの壁崩壊は、
東西冷戦構造の終わりを意味していましたが、

 

その一方で、
ソ連はミハイル・ゴルバチョフ大統領が
ペレストロイカ(改革)、

 

グラスノスチ(情報公開)を掲げて
改革に取り組んでいました。

 

しかしながら、抵抗勢力の力が強く、
なかなか改革は進みませんでした。

 

1991年8月、改革派のゴルバチョフに対して、
改革反対の守旧派はクーデターを企てます。

 

ところが、これがソ連の中心である
当時のロシア共和国の
ボリス・エリツィン大統領を先頭にした
市民の抵抗により失敗に終わると、

 

反対に
ソ連崩壊を招いてしまったのでした。

 

スポンサーリンク

アメリカの一極支配

それまでは、
アメリカとソ連の2か国で
実質的に世界を支配していたわけですが、

 

その2国のうちの1国が消滅してしまったことで、
アメリカの一極支配が強まりました。

 

これにより、
アメリカが主導する市場経済化が進むのですが、

 

これは、西側諸国のみならず、
ロシアをはじめとする旧東側諸国や中国、
インドのような新興諸国も
市場経済に組み込まれていきました。

 

これは要するに、
ドルの受け取り手が増えたということであり、
またドルの基軸通貨としての地位が
一段と高まったということでもあります。

1ドル札の発行コストは3セント?

100ドル紙幣の発行コストは、
わずか3セントという説があるのですが、

 

この説によりますと、
アメリカは100ドル札を1枚刷って、
それを海外に受け取ってもらえると

 

99ドル97セントの「利益」を
手にすることができるということになります。

 

スポンサーリンク

ドル余りの解消

アメリカは、
レーガノミックスにより生じた双子の赤字
(貿易赤字+財政収支の赤字)
問題を解決するためには、

 

ドルをたくさん刷る必要があったわけですが、
経済学者の中には、
財政破綻やインフレによる赤字の縮小を
予想する人も多かったようです。

 

しかしながら、前述したように、
ドルの受け取り手が増えたことで、
ドル余りが解消され、
ドルをいくら刷っても吸収されるようになったのです。

ドルの信用が復活し金価格が下落

東西冷戦構造が終結したことで、
アメリカは軍事費を削減することができたことから、

 

その分を教育の実現や
新産業の育成などに回すようになりました。

 

そして、
高度な軍事技術は、
民生用に利用されるようになりました。

 

この代表的なものが
インターネットです。

 

ちなみに、
こうした平和がもたらしたプラス効果のことを
「平和の配当」と呼ばれています。

 

なお、
この時代のドル建て金価格は、
ドルの信用が復活したこともあり、
300ドル後半から300ドル前半へと
値下がり傾向が強まりました。

 

スポンサーリンク